日本は、「強い統制社会」だった。
「なんとなく日本は生き辛い社会だ。」「閉塞感があり、時々殺伐とした雰囲気がある」「人間関係や社会がギスギスしている」
こういう風に思ったことはありませんか?
これらはすべて日本に隠された国民統制システム、そこに関係があるのです。
この記事でお伝えする内容は、そんな部分に関係のある「日本の裏側や闇について」です。
この記事を書いている私は、日本社会や日々目の前で起きていることに疑問を持ち、数年間かけて日本の裏側について調べてきました。
その結果、本来自由主義を掲げているはずの日本において人々を抑圧し、全体主義的に強く統制する仕組みが実際に存在していることに気付いたのです。
なんとなく「社会が殺伐としている」「社会が窮屈」「雰囲気的に自由がない」のも、この仕組みが原因です。
私は今より日本が明るく、開放的な社会にしたいのです。
もっと言うと、今だ残る全体主義的システムをすべて終わらせてしまいたいのです。
公表するだけで、すぐには変わらないかもしれません。
しかし、その隠された組織や権力の活動に対する責任追及の声はこれまでより格段に上がってくるでしょう。
そのため、この記事で「国民を広く抑圧、統制する仕組み」について筆者である私が知っている情報をすべてお伝えすることにしました。
ちなみに、この記事には国家的秘密、国家機密の内容も含まれているのでしょう。
私の周囲の公安や警察組織の動きに焦りを感じます。
そのため、忖度の多い大手メディアは絶対に公開できない内容です。
ここでは、そうした情報をすべて無料が公開しています。
本来有料級の情報かもしれませんが、あえて「無料公開する理由」、
それは「より広く知れ渡ることに対して社会的意義があること」、「私自身への信頼性がまだ未熟な段階であること」、そして「国家機密などの情報源を直接窃取した結果ではなく、あくまで私自身の身の回りで起きた経験や知識、その他公開されている情報等を積み重ね、その結果から考察した内容に過ぎない」からです。
しかし、それでも公開することに価値があると判断し、無料公開することにしました。
(また後ほど、非公開もしくは有料化することも検討してません)
おそらく、この記事の内容を読むことで日本における「国民を抑圧、統制する隠れたその仕組み」について、そのほとんどを理解できるはずです。
無料なので、ぜひご覧ください!
※全部で2万文字以上と分量が多いので、「お時間のある時に」、「気になるところから」
少しずつ読んでいただくと楽かもしれません。【目次あり】
注意点:
推測で書いている部分もありますが、私自身が「事実である可能性が高い」と確信した上で公表しています。
そのため、あくまで「推測・可能性」として表現しています部分も多数存在します。
中には信じ難い内容が出てくるかもしれませんが、私が見てきたこの国の裏側はすべてこの記事でお伝えしたつもりです。
信じてもらえない可能性もありますが、それも覚悟の上で公表しております。
補足:
この記事は公開後、随時加筆及び修正することがあります。また、読みやすさの観点から内容を複数記事に分割する可能性があります。しかし、国家権力の圧力による修正や削除は行わないのでご安心ください。
(この記事では情報量が多く、読みやすさの観点から「である調」でお伝えしています。)
では、スタートです。
日本を裏で操る闇の組織は公安だった。【公安組織と活動の全貌】
「公安が日本の国家権力のトップであり、日本社会をあらゆる場面で操っている。」
いきなり、衝撃的で「えっ?」と思うようなことかもしれないがこれが事実なのである。
政治や社会、企業文化から人間関係、日本で推奨されている明文化されていない価値観など、
国や社会から個人の生活レベルまで幅広い範囲において、彼らはコントロールしている。
たまに陰謀論的に、「日本を本当の意味で支配するのは政治家ではなく、闇の支配者・組織が別にいる。」と言われることもあるが、おそらくそれに最も当てはまるのは、「公安組織」であろう。
公安による「監視や国民統制」と聞くと、多くの人にとっては隣国の中国を思い浮び、一見日本には縁がない話にも聞こえるだろう。
しかし、日本の公安による国民統制は中国の比ではなく、非常に強力なものである。
中国の公安は反政府や反社会的活動など国家に悪影響のある取り締まりに留まるが、日本の公安は、反政府的でないごく普通の行動や考え方にまで介入して「国民統制」を行おうとする。それが「世間」や「空気」の存在であり、これは彼ら公安が主導して作り出しているものなのである。
これが、日本の閉塞感や殺伐とした空気感、社会のゆがみをもたらしている原因でもある。
「公安」とは、どんな組織なのか?
「公安」は警察組織の一部分で、正式には警察組織の公安部門、警備警察と呼ばれている。
警備警察と言われるように、まるでイベント会場で警備員が警備するかのように、国家が国民を誘導・統率することを目的としている。
よく見かける街での一般的なパトロールや法律違反者・犯罪者の検挙を行う普通の警察官とは違い、
公安は国や社会の安全や治安の維持、テロなど大規模で凶悪な事件の未然防止のための活動を行っている。
また、彼ら公安は目的や自身の正義のためなら盗聴や盗撮、ターゲットへの嫌がらせ等を行い、また足を引っ張るための巧妙なワナを仕掛けることもある。通常の警察官では出来ない非人道的かつ人権を度外視した活動内容を行うこともある。(明確な殺害行為、暗殺はしていない。)
彼ら公安は警備警察とも言われるように、普通の警察官とは違い「市民の安全のため」ではなく「国家ために国民統制を行うために動く組織」と理解しておく方が実態にあっている。
国家統制のためなら「工作活動はすべて正しい行為」とされていて、このことが長年日本で大きな問題を生んでいた。本来であれば、国内外の対テロ対策や過激派による暴動等を防ぐ目的で設置された組織や技術にも関わらず、一般市民の思想統制や行動抑制のためにこれらが利用されている現実が存在する。一応法律の範囲内での活動を前提としているものの、歩行者を威圧するための威圧的走行や明らかなスピード違反、そして特定人物に対して犯罪行為を唆す等、到底警察組織の人間とは思えない行動にも出る。
このように「国家統制のため」という大義名分を抱えているものの、犯罪行為に近い行為も引き起こしているのである。
後ほど説明するが、おそらく暴力団も彼ら公安、もしくは少なくとも警察組織内の存在であろう。
秘密活動が多いことや国民への対応が手荒であることから、裏の警察官とも言える。
それもそのはず、実はこの公安というのは戦前に反体制的な政治運動や思想を取り締まっていた特別高等警察(通称:特高)をもろに引き継いでいて、彼らの正義・価値観も極めて戦前の軍国主義時代に近く、今もなお非常に全体主義的な価値観を持つ組織である。
戦前と違うのは、「彼ら自身は取り締まりや逮捕をしないこと」
しかし違法ではない行動対しても、圧力やプライバシーの侵害は平気で行っている。
しかも協力を仰ぐためなら、なんの関係もない善良な市民に対して脅しや同調圧力で強引に従わせるなど、その行為はヤクザのイメージそのもの。
「公安=ヤクザ」というのはその性格からも読み取れる。
調査対象は「テロや凶悪犯だけが対象か?」と思いきやそうではない。
テロ活動や凶悪犯罪、暴動などの阻止だけでなく、政治の世界や大手企業など国にとって影響の大きい組織や人物に対しても、監視や潜入、工作の対象としている。
公安はこうした点からあらゆる場面で影響力を利かし日本を動かす、事実上日本における国家権力のトップ的存在なのである。
戦前の特高と同じく今でも、「周囲から抜き出た人」や「彼ら公安にとって反日本的行動や価値観を持つ人物」、「社会的影響力が高い人」を日本を統制するという名目で、様々な方法で抑圧、蹴落としを行っている。
いわば、典型的な足の引っ張り役を行っているのである。
「国家に悪影響のある行為」、あるいは「反体制的な言動・活動に対する取り締まり」は、日本に限らず様々な国で行われているものの、日本の公安による統制が異質なのは、国家に悪影響を与える訳ではないような「個人の行動」や「生活スタイル」、「個人的な価値観」、そして「人間関係」に対して介入しようとする点である。
また、反日本的価値観や行動とは、簡単にいうとその場の雰囲気にそぐわない行動や価値観を持つ人のことで、必ずしも明確なルールがある訳でなく、不安定でかつ流動的な存在なのである。
そうした場の空気にそぐわない人間を合理的ではない理由で抑圧、または排除している。これは決して国の重要機関だけでなく、ごく普通の一般企業でも行われている。
これはその企業が主導となって行っているのではなく、公安が社会統制を行う一貫として潜入や工作を行った結果発生している。
この公安主導による企業内いじめや嫌がらせによる休職や退職によって、人生を狂わされた人間も数少ないだろう
また公安は、特に反日本的価値観や行動様式が目立つ人に対して、天皇陛下や天皇制を挙げて、より強い抑制や統制を行う場面もみられた。
反日本的価値観や行動とは、逮捕されるような違法行為ではなく、「なんとなく周囲とは違う些細な行動」や公安による当てつけであるケースがほとんどである。決して、誰かに対して明確に損害を与える行動ではないのである。
これは「些細な部分までこだわる日本的精神」と「全体主義的国民統制」がミックスされた日本の悪い部分の根源だろう。
※公安は日本におけるスパイ機関的存在であるため、そのため国家や国民に関する様々な情報を保持している。しかし日本社会への工作活動がメインで、外国に対するスパイ活動には消極的な傾向があるようだ。
※公安の初期メンバーには、戦後廃止された特別高等警察の元警察官が復帰するような形で公安警察の警察官になった人が多数存在する。そのため、戦前より国民への対応は軟化したものの事実上、特別高等警察が存続した形となる。
現代でもなお、学校や職場などをはじめ同調圧力や集団行動など全体主義的、戦前の軍国主義的な側面を見せるのは、この点が強く影響している。
公安がこのような工作活動を行う「理由」【目的】
公安が一般市民にこうした対応を行うには目的がある。
しかし、その理由は本当に様々で、同じような行動をしていても、その背景は状況によって目的や理由は変わる。下手をすれば、次の日には行動やその目的は変わっているかもしれない。
公安の活動とは、そういうものなのである。
具体的な理由とは、
- 犯罪の未然防止(検挙できない範囲のものを含む)
- 日本の安定性(政治的・社会的・経済的)の確保
- 反体制派の抑圧【日本的社会の維持】
- 政治的・社会的独裁の防止
- 個人の能力や経済的格差の制御
- 国民の行動スタイル・価値観・思想の厳守と統一感の維持(「みんな一緒」の精神)
- 警察官の士気向上(警察官の仕事を作る)のため
上記のとおり。
もちろん国である限り、その国の安全のためにある程度全体を統括する組織は必要であるだろうが、
テロや国防といった国の安全に関わる部分だけでなく、国民の思想や行動、日常生活に広く干渉し抑圧・統制しようとする点が非常に問題である。むしろ、近年はテロ組織や過激派による活動の危険性が低下しつつあるためなのか、公安の活動が一般市民に向けられる割合が多くなりつつあり、法的根拠がないにも関わらず、一般市民の自主的な行動規制を促す方向性がより強まる危険性が高まっている。
(こうした「日本の公安の問題点と具体的な対策について」はまた別記事で紹介しよう。)
★衝撃!公安による「活動内容」の実態【随時更新】
ここまでは「公安の活動目的」と私の身の回りで起きた実際の出来事を挙げてきた。
では、ここからはそんな公安組織の具体的な活動内容を一つずつ見ていこう。
1.世論誘導とコントロール【日本の価値観(空気感・価値観、世間)の形成】(全体的)
政治やメディアはもちろんのこと、公的機関、大企業、有名企業、学校などを利用しつつ、日本の空気感、日本を強く世間という雰囲気、空気感を形成させている。例えば、一般市民のごく身近な場所にも企業文化や社会的慣習によって「日本人の価値観や行動様式の固定化や統制」を浸透させている。日本と言う国は表向きは自由主義、民主主義を謳っているが、実際は一般市民が日常生活をおくる場面ほど、今でも全体主義的な統制が広く浸透させられている。
ちなみに、選挙活動や当せん者もこの活動によって、ある程度決められてしまっている。
2.対テロ・暴動を起こす過激派勢力(右翼・左翼・学生運動・市民運動・新興宗教など)・日本共産党などへの監視
この点に関しては、すでに公表されている通りなので説明は割愛します。
3.その他、国家権力や重要組織、社会的影響力の高い組織や人物の監視と工作活動
公安は、テロや暴動、凶悪犯罪の防止だけでなく、政治政党や国家公務員、自衛隊、大手メディア【全国新聞紙・テレビ局(主として関東キー局をはじめ全国放送)】をはじめ、時には実業家、起業家、個人事業主、インフルエンサー等、日本にとって影響力の高い存在であれば善良な組織や人物であっても監視やスパイ活動を行ってコントロールを行う傾向がある。そして、うまくその誘導に従わない場合は脅しや社会的地位の没落への誘導もいとわない凶悪な一面も持っている。
4.個人や一般社会への活動【ターゲットへの工作活動】【実例あり】
これは「1.世論誘導とコントロール」と違い社会全体を対象とした統制ではなく、個人の行動や思想の修正などを行い、国民の隅々まで統制下に置くための細かい活動である。そのため、国や社会への悪影響力の少ない中小一般企業や地域社会、ごく普通の一般人などを対象としている。
このように公安は、ごく普通の日常生活の場面において市民に紛れつつ、国民統制のための様々な工作活動を行っているのである。
彼らは非常に細かい内容、個人の生活や行動、思想にまで関与する非常に嫌な組織である。
「彼らは国民に対して良いことをするのか?」というと、そうではなくてむしろ、法的に引っかからないけど問題の多い人はもちろんのこと、
ある一定の範囲やコミュニティにおいて成功している人や頭1つ飛び抜けた存在などの足を引っ張るように動くことが多い。
例えば政治の世界はもちろんのこと、経済的に成功している人や芸能人をはじめ有名人、著名人もターゲットに選ばれやすい。
明確な違法行為があれば、公安権力にとって都合の良いタイミングや容疑で摘発することがあるが、
そうでなくても、周囲にとって高圧的であったり、女性関係にだらしなかったり性格的に何か問題を持っていると、週刊誌のネタとなる不倫やプライベートなスキャンダルで社会的評判の下落を狙うことを行っている。
また、引っ張れるようなネタがなければ、あえて話題を作ることや足を引っ張るためのワナの設置も行っている。例えば、わざと怒らせて暴行など違法行為を行わせることやトラブルの誘発などを行っている)
このようにして、ターゲットに対する社会的地位の転落や逮捕などを行っているのだ。
「どういった人が公安のターゲットにされるのか」
「公安の目的とは」
このあたりのことに対しては、また別記事で詳細をお伝えするとしよう。
こうした点をしっかり知ることで、公安への対策や知られざる日本の裏側が浮かび上がってくるはずだ。
5.暴力団(ヤクザ)としての活動【ヤクザの正体は警察組織の一部か?】
暴力団、またはヤクザとも呼ばれる組織で一般的には凶悪犯罪集団として恐れられているし、おそらく多くの人が「まさか、暴力団が警察関係者?」とは思わないのではないだろう。
正直、この記事を書いている私自身も暴力団員が警察組織の人間であると確信出来た訳ではない。
しかし、これまでに思い当たる点にいくつも出会ってきた。
私は暴力団(ヤクザ)組織が警察組織の一部だと思っている。特に彼らの行動や秘密主義を考えると、警察の中でも特に公安の動きであろう。
万が一違っていても、それはそれで一歩真実に近づく訳だし、別に彼らに社会的・経済的損害を与える訳ではない。
こうしたことから、少しでも日本の隠された部分の真実や闇を解き明かすべく、私の推測を公開することにした。
国家権力や警察組織にとって都合が良すぎる「暴力団という存在」【必要悪と統治の真実】
(続きは別記事で後日公開予定)
6.【絶対許してはならない!】警察組織の人間による犯罪行為の誘発
衝撃的だが、警察組織は「犯罪行為の誘発」も行っている。この事実に私は確信を持っている。
メガネ型のスパイカメラ等を用いてその場面を録画しておきたいところだ。今後も、状況を注視しつつ場合によってはそうさせてもらうつもりだ。
「なぜ、警察官はこのような行為を行うのか?」
それは、小さなトラブルや事件を引き起こさせることによって、警察官の仕事を適度に作り、警察組織の士気を高めるためであるらしい。全くもって信じられない話だ!
というのもこの背景には、「日本では治安が良く、人口の割に犯罪があまり起こらない街」と言う事実がある。ある程度は事件が起こらないと警察官の仕事がなく、彼らの士気が下がってしまうという訳だ。
そのため、主に怒りっぽい人や一人で街をうろつく人などをターゲットにして、あえて、「からかう」、「喧嘩を売る」といった行為をさりげなく行って、暴行などの犯罪行為を誘発しようとしている。
こうすることで、「適度に仕事を作れる(活動意義が出来る)」「警察官の士気が上がる」「粗暴な人物を逮捕することで抑止につながる」「繁華街への流入抑止」等、警察官にとって意外にもメリットが大きいのである。
ちなみにこの時にもし相手に手を出したり、喧嘩を買ってしつこく対応していると、彼らは警察への連絡を求めたり、仲間(同じく休日の警察官や公安)を呼び始めるのである。
しかし問題なのは、犯罪行為をするために街へ出ている人だけでなく、明らかに普通に遊びに来ているだけの人に対して、喧嘩を売ったり、からかう行為を行う点である。
私自身、一人で出歩くことが多いので彼らに良く絡まれるのだが、私はこのように見ず知らずの人間に対して、「喧嘩を売る」「からかう」といった行為を行うトラブル気質な人間とは一切関わりたくないのである。
それは、たとえ相手が警察官であろうが、理由がどうであろうとだ。当たり前だろう。
このように、日本においては警察権力が国家の最高権力であり、それゆえ独りよがり、彼ら自身の社会的意義や正義の強さから、他方から見た視点で物事を見ることが出来ない組織なのだ。
それゆえ、彼らは危険性を秘めていて、偏った正義感ゆえ、狂っているのである。
そのため権力の暴走を防ぐために、政治の世界だけでなく、警察機関に対しても組織の暴走を防ぐ仕組み作りや行動責任の追及の声を上げていく必要がある。
ちなみに犯罪行為を誘発する警察官は、休日等で私服姿の警察官や公安の人物である。そのため、交番などにいる制服を着た警察官はそのような行為を行っていない。こういった行為を行う警察官は、不良やチンピラ系から親子連れ、粘着気質な雰囲気を醸し出している人まで実に様々で姿は決まっていなかった。
【補足】警察官の性格とは?
「警察官の人間はどんな性格をしているのか?」私が知った限りの情報を出しておこう。
まず、警察官といっても全国で20万人以上存在しているので、性格は人それぞれなのは言うまでもない。
しかし、警察組織は「所属するために全寮制の教育を半年以上みっちり受ける必要がある組織であり、多くの人が真面目に国や社会の平和のために働いているのは間違いない。
しかし、世間一般にイメージされる「街の安全を守る親切なお巡りさん」と一括りに考えるのは誤解である。
なぜなら警察組織がもともと典型的な体育会系組織で、学歴を問われない環境である。そのため様々な水準の人が就職してくる組織なのである。
こういった環境下においては、学生時代から性格が荒っぽく、勉強は出来ないけど体力自慢でクラスの人間関係を支配している、いわゆる「ガキ大将」的な性格を持つ人も入ってきやすい。
むしろ法律や組織のルール、上司の命令に従順でさえあれば、多少このような面がある人こそ活躍しやすいのが警察の仕事と言えるのかもしれない。
というのも、警察官は「仕事でどんな凶悪人物を相手にするのか」わからないし、職務を遂行しやすくするためにも相手に舐められない方が良いのである。現に強面で厳つい警察官がたまにいるのはそのためだ。
また、警察職の中には、暴力団や半グレのポジション等、元々荒っぽい人間にも活躍しやすい場が存在する。彼らは警察組織の人間であるものの、あのポジションで行っている行為は決して演技ではなく、素の性格である可能性が高い。(もちろん、彼らによる凶悪犯罪ニュースは嘘である。)
また、先ほど紹介した「特定の人物をからかう」「喧嘩を売る」ような人物も仕事のためではなく、元々の性格だろう。とても渋々行っているようには見えない。
しかし、彼らの性格の悪さは「警察組織の人間はあらゆる人物や社会を常に疑った目で見なくていけない環境下にある」という現実、彼らが置かれている環境も原因の一つであろう。そうでなくては仕事が出来ない。
こうした背景の中で重要なのは、警察官全員が決して「街の安全を守る親切で優しいお巡りさん」というイメージを持ち続けるのではなく、ここの記事で紹介したような現実を直視しつつ、警察組織を絶対視しないこと、必ずしも警察組織が人間的に純粋で透き通った存在であると認識しないことであるだろう。
こうすることで、警察権力の暴走を防ぎ、組織の行動責任の芽も芽生えてくるはずだ。
ヤバすぎる!ターゲットを追い込む「公安による具体的な工作手口」
ここまでお伝えしてきたように、
公安は政治やメディアはもちろんのこと、公的機関、大企業、有名企業、学校などを利用しつつ、日本の空気感、日本を強く世間という雰囲気、空気感を形成させている。
また、職場や社会などのコミュニティのルールや空気感、行動様式などによく反する人に対しては、公安がその人物が所属している職場や団体などに接触、潜入し、対象人物を望む方向へ誘導している。
時には「所属するコミュニティ内やその他不特定多数の周囲を利用しつつ批判や嫌がらせを行う」「通常知りえない情報(ネットや自宅等)を対象人物の周囲へ広める」を行う。これらを行うことで公安は対象人物の価値観や行動を抑圧や誘導しようとする。
時には「急に周囲の対応が変化させて混乱させる」「言っているか言っていないかわからないくらいの声で悪口をいう雰囲気を作る」ということも行っていた。
「そんなの不可能」「信じられない!」と思うかもしれないが、いわば「彼ら公安はこういった集団心理や人間の行動や感情のコントロールに長けたプロ」であり、「強く植え付けられた日本の価値観」「同調圧力(集団心理)」等を考慮すると決して難しくない。
つまり、同調圧力による雰囲気作りを行うことで、特定の価値観や行動への誘導を行っているのである。
では、彼ら公安による市民への工作活動と手段を見ていこう。おそらく衝撃的である。
その方法は以下である。
- 集団内での同調圧力(目的の方向性への誘導)
- コミュニティ(団体)への潜入・接触
- ターゲット(人物)の周囲の人間関係から協力者を得る
- ターゲット(人物)の周囲の協力者を利用しつつ、批判、対立、いじめ、憎しみ等を誘発
- 社会的不利にさせる方向へ誘導(出世や昇給の阻止)
- 脅し(いわゆるヤクザ風の人物を利用)
人々を追い込む「具体的な手段」
- ネット閲覧履歴の把握と暴露
- 盗聴
- 尾行
- ターゲットへのいじめ・煽り
- 人間心理を利用した精神的攻撃
また、時には
- ターゲットに対する殺人教唆
も行っている。
上記のとおり。
状況によっては、「盗聴した音声を周囲の人へ暴露する」するといった事を行うなど、彼らの行動は状況によって様々、ケースバイケースである。
公安の基本的な目的は「日本の治安・安全を守るため」であるといわれるが、そのためであれば非人道的、人権度外視した対応に出る組織である。
問題なのは、必ずしも反社会的・反政府的な人間だけでなく公安が思う「日本的慣習や価値観」から外れる人間に対しても、こうした人権侵害的な行動や人々への抑圧を行っている点である。
そしてこの「日本的価値観・感覚」とは決して法律などで明文化されたものではなく、時代や場面、あるいは地域やコミュニティによって左右されている。
【緊急】自殺誘導や殺人教唆も行うヤバすぎる公安組織
殺人教唆に関しても、逮捕されるほどでない法律違反ではない行為、日本の多数派の慣習雰囲気に反する人間に対しても行われている。時には組織や集団に対して都合が悪い、あるいは空気を読まないような、日本の治安とは全然関係のない人物に対しても行っている。
例えば、ターゲットの周囲に対して「自殺に追い込む」ことや「殺人を教唆(そそのかし)」をして誘導している。ポイントは決して公安自身が実際に暗殺や殺害を行う訳でない点である。
例えば、「職場へのいじめ誘発」「求職または退職への誘導」「殺人教唆(そそのかし)」である。
また「ネット閲覧履歴」を利用しつつ、他人にはあまり知られたくない情報(性癖や自身の過去)等を暴露することで、ターゲットを自殺に追い込んでいるケースが存在する。
また「殺人教唆」は、ターゲットの家族や友人知人、職場等の周辺人物の中心に行っていて、その他ターゲットがよく利用するお店や場所の人物に対して行うことがある。
その他、客の立場で潜入した公安関係者が、ターゲットが良く立ち寄るお店の従業員に対して「毒を盛れ」と注文をつけている例や「殺しても罪に問われない相手だ」ウソをついてまで殺人への誘導を行っている例を確認。
またその多くが冗談半分で言っている雰囲気であるものの、立場や状況などを考慮すると決して冗談とは受け止めきれないものである。
しかしこれらの行為はいずれも、聞き間違いと疑ってしまう程の小さい声で、尚且つ、上司やお客の立場であるなど、立場的に断りづらい異様な雰囲気の中で、相手に圧力をかけつつ行われている。
つまり後から、「何もなかった」と後から口裏合わせが出来る状況なのである。
そのため、仮にそうした教唆を受けた当事者が本当に殺人を犯して逮捕されたとして「周囲から殺人をそそのかされた」「命令された」と言ったとしても、幻聴や幻覚と判断されてしまうだけなのである。
【公安もそれを狙ってやっている。公安に唆されても殺人しても、殺した人だけ普通に逮捕されて終わり。犯罪集団によるトカゲのしっぽ切りと同じなのである。】
このように警察権力による反日本的な行動を抑圧する仕組みは殺人事件に発展しかねない行為にまで及んでいるのである。
これは組織的犯罪行為に近く、国民はこうした公安権力の愚行の事実を受け止め、断固として容認しないのが賢明な判断だ。
公安にとって、「ターゲットを批判するための内容やきっかけ」はなんでも良い
公安にとって、批判や揚げ足取り的な内容は何でも良い。
大抵の場合、その目的がターゲットを目的の方向へ誘導したり、精神的に揺さぶるためだから。
例えば、何らかの容疑で検挙するため、あえて怒らせて暴行罪で逮捕することを狙っていることがあるし、精神的に追い詰めて、休職や退職、あるいは自殺を狙って行っている場合もある。
(どのような人がターゲットになるのか?については別記事で後日紹介します!)
公安による「いじめやトラブル誘発」の隠れた狙い
公安による「いじめやトラブル誘発」これには他にどんな目的があるのだろうか?
ここではちょっと、この件に絞って公安活動の隠れた狙いに迫ってみよう。
この「いじめやトラブル誘発」の隠れた狙いは以下の通りだ。
「人間関係や社会の怖さを思い知らせることで委縮させ、
- 人々の外出や行動を抑制する
- プライベートな良好な人間関係構築を出来にくくするため(※理由はのちほど説明)
これに尽きる。
仮にいじめやトラブルが発生すると、その当事者たちだけでなく、周囲の人たちやそれを知った人たちも委縮する。
そうすることで、「国民が人間関係の構築や外出を人々が控えるようになり犯罪も減る」という考えだ。
人の外出が減れば、犯罪発生数が減少するということは過去のデータから明らかとなっていて、
例えば、コロナ期間では2020年~2021年の刑法認知件数は過去最低レベルを記録し、その翌年以降2022~2023年にかけては、いずれも前年より件数が増加していて、2022年は20年ぶりに前年を上回る年となっている。
まさに、人の数だけ犯罪発生の可能性が高まるということが証明されているのであった。
もう一つ、「プライベートな良好な人間関係構築を出来にくくするため」という衝撃的な目的がある。
なぜなら相互監視・相互批判的精神を養い、統制を取りやすくするためである。
特定の人と仲良くなるのではなく、このように多少批判的精神を養うことで人々を「個人単位」として組織の中で扱いやすい状態になるのである。反対に仲良しグループが出来ると、組織の中で派閥が出来たり、不正が横行しやすい原因にもなりうる。また、その他社内ルールの徹底も行いやすい。このように企業などの組織にとって、従業員同士が仲良くならない方が統制が取りやすく扱いやすいのだ。
あと、少し大げさに聞こえるかもしれないが、「国や政府に対して反乱を防ぐ狙い」もある。人々が一致団結して企業や国に対して反抗できない体制を取るためである。これは過去の日本の歴史(主に江戸時代や戦時中)や現代の北朝鮮の状況を知れば、決して大げさなことでないのが理解できるであろう。
「ここまでやるのか」と思ってしまうが、日本人の生真面目さと細部にまで徹底する性格を考えると理解しやすい。
ここまでやるのか!ニッポンの公安「国民への秘密工作の実態」【随時更新】
【一般国民の自宅にも?】「盗聴器設置の真実」
確実に存在する。
通常は利用されることはないものの、「公安の監視対象者の監視や情報収集」、その他「活動のために必要な情報を集めるため」に利用される。
特に多数の世帯が同一建物に入居するマンションや賃貸アパートは、防犯上の観点から元々設置されている可能性が高い。
たとえ盗聴器を発見し取り外したとしても、盗聴器自身の性能が良く、隣の部屋の盗聴器から音声を取れるようになっている場合がある。
また、公安の監視対象者やその周囲には公安やその協力者が入居して盗聴などを行う可能性が高い。
したがって賃貸or分譲を問わず、集合住宅に住む限り盗聴の可能性からは逃れられないと思った方が良さそうだ。
一般的な戸建てであれば盗聴される危険は低いものの、隣や近所から盗聴される可能性は避けられないため、建物や住居が密集する都市部で盗聴を防ぐのは不可能に近いかもしれない。
盗聴をされるのを防ぐのであれば、「防音性の住居に住む」もしくは「建物や住居間の距離が離れる傾向にある田舎で一軒家に住む」のが確実だろう。
(盗聴器の形式や使われ方については後日、可能なら追記します)
大人だけではなく、中学生(14歳)以上の国民に対して行われている「公安の工作活動」
どんな感じで行われているのかというと「いじめやトラブルの誘発」である。
つまり、大人社会と同じことを行っている。
そのやり方・手法も同じで「盗聴器やネット情報を利用した暴露」がメイン。
例えば、盗聴器が付いた自宅での友人の悪口やネット履歴からの隠していた性癖の暴露がある。
ただ大人と違うのは、学校生活なので公安関係者が接触してくる機会はほぼないといえる点でだろう。
ちなみに、学生において公安のターゲットになりやすいのは以下のような人物である。
★公安のターゲットになりやすい人物
- おとなしい
- 友達がいない、もしくは少ない
- 隠し事を持っている
- 周囲になじめていない
- 「友達や学校で見せる顔」と「家庭で見せる顔が違う」
- 賃貸物件やマンション住まい(盗聴によるネタ収集が行いやすいため)
- 対象者は学年で数人程度
※いずれも、犯罪性の高さや素行の善悪などはあまり関係ない。
上記のとおり。
基本的には、ターゲットにしやすい人物を選んでいて、これは子どものいじめとなんら変わり無い。
また、大人と同様でターゲットや内容は誰でも良いようだ。
もちろん、必ずしもいじめが発生するとは限らない。
では、なぜこのようなことを行うのだろうか?
どうやらこの目的は、
「大人社会の雰囲気を体験させ、世の中の大変さを理解させることが目的」らしい。
狂っているのです。
また、ターゲットやいじめ当事者以外のその他大多数の人達に対しても、
いじめやトラブル現場を見させることで委縮させ、のちに社会に出たときに周囲に対して大きくでない、おとなしくて従順な人材の育成を目指すという目的もあるようだ。
また、友人や知人といった人間関係の構築に消極的な人材も目指しているかもしれない。
その方が、外出が少なくなり、結果として被害・加害ともに犯罪リスクを減らせる。【人々に外出が減少すると犯罪件数が減少する傾向にある。青少年なので、非行や深夜の外出も減らせることになる】
とにかく、こうしたことが警察権力にとって複数の目的やメリットが存在していて、「権威や強者に対しておとなしくて従順、リスク回避思考」の人材を育成しやすく、より企業で従順に働く企業戦士の誕生が期待できるという訳である。
つまり、国や警察機関にとってめちゃくちゃ都合が良い状況が出来る訳なのだ。
しかし、時には人の人生を狂わせ、その誘発によるいじめによって死者が出ているかもしれない。
これは権力組織の犯罪的行為で、国民は断じてこの状況を容認してはならないだろう。
この記事での告発によって彼ら公安が事実を認め、一連の工作活動をただちに中断する訳ではないかもしれない。
しかし、彼ら公安権力の本性や活動内容が明らかになった今、これまでのような活動は難しく、彼らの活動に対する責任追及の声が上がってくるようにもなるはずだ。
私はその社会の変化を期待している。
「日本の公安組織」と「アメリカのスパイ組織:CIA・NSA」の関係性
では、日本の公安組織とアメリカの諜報機関(スパイ組織)「CIA(中央情報局)」や「NSA(国家安全情報局)」との関係はどうなのか?
全貌は明らかではないものの、その一部を垣間見ることが出来たので、そこから推測される日本とアメリカ情報機関の関係性をお伝えしておこう。(彼らと接触したきっかけは、後ほど解説する。)
まず、アメリカの諜報機関(スパイ組織)といえばCIAが一般的に有名だろう。対してNSAは近年ようやく名前が出てきたような組織だ。
CIAは一般的に足を使った潜入調査をメインとしており、NSAはネットをはじめ情報分野でのスパイ活動がメインのようだ。
近年はインターネットの発展が目覚ましく、実生活と切っても切れない関係となっており、今やスパイの本元はNSAのようである。実際、2つ掛け持ちしている人もいるようだ。
【下で紹介するエドワード・スノーデン氏や私に接触したスパイも2つの組織を掛け持ちしていたようだ。】
ちなみにNSAの存在がバレたきっかけは、アメリカのCIAやNSAで働いていたエドワード・スノーデン氏の告発によるものだ。
彼はアメリカのスパイ機関が同盟国も含め、世界中で個人情報やネット情報の窃盗、通信傍受などのスパイ行為を行っていたと暴露し、一時期世界中を騒がせた。
他にも、各国大使館や大統領・首相クラスの人物の自宅も盗聴していたという。
今となってはもはや秘密ではなく、日本ではスノーデン氏による暴露本まで出版されている。
何種類か出版されていて、この記事で書いた内容とも関連が深い。これらの本を読むことで日本社会も他人事ではないことが理解できる。
スノーデン氏による本はいくつか出ているが、この本が分かりやすく、値段も手ごろでおすすめだ。
では、話を戻そう。
日本の公安とアメリカのスパイ組織の関係についてであるが、
日本とアメリカは同盟国であるため、このような情報分野でも共闘関係にあるのは間違いない。
正確には共闘関係というより、日本の公安による活動や情報をアメリカが必要に応じて利用しているという状態であるのだろう。
そして、日本の公安による国民への諜報活動や情報はすべて、アメリカが利用したい時にいつでも行えるようになっている。
では、「日本国民の統制や監視など、国民に対する抑圧的な姿勢もアメリカが行っているのか?」というとその可能性は低く、明らかに日本の公安によるものだと考えられる。
まず、彼ら公安の統制や監視の仕方、そして価値観が戦前の特高警察に近いもので、極めて全時代の日本的な全体主義的思想なのである。
そしてあくまで私が確認できた範囲であるが、アメリカは自国の国益に悪影響を及ぼすような事例でない限り、日本の国民や社会統治に関しては口出ししない姿勢を感じられた。
他の様々な活動内容やその対応の細かさを考えても明らかに日本の公安活動によるものだと判断できる。
とはいえ、公安による工作活動によって日本の政治や経済にとって影響が大きい内容に関しては、アメリカの諜報機関との情報共有や判断を仰ぐなどを行っている。
ちなみに、私の前にアメリカのスパイが現れるきっかけとなったのは、少し前にSNSで安全保障のニュースに対して、日本やアメリカの立場とは違う中立的な立場の意見を行い、これに対して反響が大きかったことが原因とされる。
もちろん日本には「言論の自由」があるため法的にはなにも問題はないが、現にアメリカのNSA職員がわざと肩をぶつけてくる等、明らかな圧力をかけてきた。
しかし、私は今もあの意見は間違いでなかったと考えている。
【考察】アメリカは暗殺をしているのか?【テロ容疑者暗殺の真実】
この記事は本来、日本の公安活動について書いているが、せっかくの機会なのでもう少しアメリカについて触れておこう。
よく「アメリカはスパイを使って反米的な国や組織、そしてその指導者を暗殺の対象としている。」と言われているが、この噂は間違っている。
アメリカは反米的な国に対しては、要警戒や監視の強化は行いつつも、それだけでは暗殺の対象としていない。
アメリカが暗殺の対象としているのは、アメリカに対して実際にテロや軍事的な攻撃を行った組織に対してのみである。
例えば、9.11のテロ主導者の暗殺や具体的にアメリカへの軍事的攻撃が確認された国に対して報復攻撃を行う等である。
つまり暗殺を行っているケースは、反米思想や一般的な犯罪行為ではなく、アメリカ領土への明確な軍事的攻撃と判断される場合なのである。
アメリカは自国への攻撃が確認されたら、相手が国であろうと、テロ集団的な組織であろうと「敵対勢力を壊滅させるレベルで報復する」という方針を取っていて、あくまでこの原理原則に従っているのである。
要するに、こっそり行うスパイの工作活動ではなく、明確な軍事的報復(安全保障上戦略)の一環であったのだ。
近年では、「SKYNET(スカイネット)」という携帯電話の位置情報や通話内容から個人を特定するシステムや無人ドローンを利用して、テロリストの主導者を追い詰めている事実も明らかになっている。
形や能力は違えど、映画「ターミネーター」に登場する「Skynet(スカイネット)」は現実に存在していたのだった。
自由主義を掲げつつも、年々強まる「国民統制」
そして公安から見て国家や重要な組織にとって都合の悪い人間には同調圧力やいじめや足を引っ張るためのワナなど様々な工作を行っている。
これは一見自然発生的なものにも思えるものも存在するが、公安やその協力者が「この状況を良し」と考えており、こうした状況や価値観を積極的に推進している。
確かに治安維持や統一性・安定性を考えるとその行動にも一理あるが、さすがに世界に開かれた民主主義国家、自由主義を名乗っている現代において、このいかにもこのような全体主義的な活動を強く出している点は決して容認してはならない。
★「自由主義」とは?
他者や社会、国家に悪影響を及ぼさない限り個人の活動や信条、思想は自由とし、国家は基本的に干渉しないという考え方・主義のこと。
「国民統制」を維持し続ける、自由主義に馴染めない日本の姿
日本においては、法律には載っていない明文化されていないけど存在する謎の規範(ルール)が存在する。しかもこれらを守らなければ、人間扱いされない雰囲気が存在している。そのルールは場所や時代の雰囲気、所属するコミュニティによって変わる。「何が良くて、何がダメなのか?」分からない状況が生み出し、人々の発言や行動を抑圧している現状が存在する。
そして、これが国家権力(特に公安)による意図的なものであるならば、国家権力が人々を抑圧している現実である。
さらに、こうした人々への抑圧傾向は2013年頃から次第に強くなり出し、近年ますます強化されている。
ちょうど、本格的なネット社会(特にスマホやSNS普及)の到来時代と重なるとはいえ深刻だ。日本の「報道の自由度ランキング」が大幅に下がりはじめたのもちょうどこの頃からだ。
この頃から日本では国が、統制を強め人々を抑圧する傾向が強くなった。それはネットやデータだけでなく、社会の閉塞感や殺伐とした雰囲気を感じる程であった。
人口減少や少子高齢化などによって「日本の国力低下や経済衰退が心配」という話題が多い時期であったが、こうした社会の閉塞感や殺伐とした雰囲気はきっとこのせいだけではなかったはず。
こうした状況である限り、日本において自由とは名ばかりで、もはや人々に「自由である」と騙すためだけに存在していると言えなくもない。
少なくとも今の日本において形式上は民主主義・法治主義であり、社会制度もしっかりしている。
しかし、その内に秘めた「統制へ方向性・精神」が現在においても全体主義的ものを醸し出している。
特に反社会的・体制批判でない「ごく一般的な個人の行動や日常生活、人間関係、考え」等にも公安が介入してくるあたり、他の民主国家はもちろんのこと、権威主義的と言われる国においてもあまり見られない独特かつ異常なものではないだろうか?
公安という組織が戦前の特別高等警察(通称:特高)を継承したものであることを考えるとまあ、不思議ではない。
さかのぼること江戸時代においても「5人組(隣組)」という相互監視、連帯責任の制度が存在していた。
現代においてもブラック企業による法外的な時間外労働や残業未払い、非合理的な社内体制、そして時に過労死が発生するあたり、
どうも日本は上の立場のものが下の立場を統治する状況になると、強烈な問題が多く発生してしまうようである。
さすがに戦前やそれ以上前のことなら仕方がないとはいえ、現代においても解決していないとなるとその問題は決して小さくはない。【パワハラ、過労死、付き合い残業、サービス残業など】
ルールを作るし厳しく遵守する部分もあるけど、大きな組織や集団にとって「ルール破る方が利益が大きい、うまく事が進む」と分かると、いとも簡単に解釈を変えて理解したり、ルールを簡単に破ってしまう点があるのである。そして、そうした事実を忘れてしまう事なかれ主義が横行する。
例えば、日本の死刑制度がまさにその典型例であろう。
権力を縛るはずの憲法では残虐な刑罰を禁止しているが、実際の法律では死刑を認めているし、執行方法「絞首刑」まで記述されている。
つまり、日本では「絞首刑」や人の命を奪う行為は残虐ではないとの解釈なのだ。
死刑制度というのは、簡単に言うと「国が不要とした人間は、未来の可能性を考慮せずに殺します。」という優勢思想的で、人命よりも国家権力を重視した考え方なのである。
国や世界が滅ぶ訳ではないにも関わらず殺害する、人命や基本的人権(特に生存権)がベースにあれば決して出来ないはずのことである。
これも、西側的な民主主義、自由主義、人命尊重の価値観を謳いながら、影で人権を無視した国民抑圧を行う国家権力の姿の一端なのだ。
多くの人が暮らす社会でのルール構築には、「法の支配」と「人権」が重要。
20世紀以降、人類は単に知識や技術的だけでなく、合理主義や論理的思考によって発展してきた。
特に第2次世界大戦以降は、人間の本能による欠点を合理主義や論理的思考・法の支配によって補ってきた。こういった部分はヨーロッパをはじめ欧米社会や先進国ほど強い。
多くの人が暮らす社会でのルール構築には、すべて論理的かつ合理的な結論によって制定された法律による決定が重要だ。
なぜなら、お互い何の接点もない人同士が多数暮らす社会において、雰囲気や感覚、良心等に頼ったものでは良好な社会や街は築けないからだ。
仮に雰囲気によって明確ではないルールを制定するのであれば、強者にとって都合の良い法や支配となりうるのだ。これは国や社会、あるいは職場から個人的人間関係まであらゆるコミュニティにおいてすべて同じなのである。
例えば、日本のおける「空気」や「世間体」、「普通」というのは、警察権力が人々を統治しやすくするための導入されたものなのだ。
またすべての人にとって平等な法整備には、「法の支配」と同様に「人権」も重要なのである。
人間というのは、「強者」がいれば「弱者」も発生する。
社会保障を中心に個人を単位とした様々な社会制度、公的支援の確立は重要で、この点日本よりヨーロッパの方が優れている。
また人権の中でももっとも重要な前提条件は「生存権」に対する意識であり、「生存する権利」を一番下のベースに置かなければ、真の意味で「法の下の平等」は訪れないのである。
例えば、驚くかもしれないが「凶悪犯罪を犯して死刑になる人物」は実は圧倒的な社会的弱者であるし、確かに罰は必要であるが「生きる権利=生存権」を奪ってしまうと、「国が人の生死を選択する」きわめて優勢思想的なものとなってしまうのである。
だからこそ、すべてのルールを平等で論理的結論によって生み出された法によって制定し、それは生存権を最も基本的な土台としたものでなければ、真の意味で平等な法や社会は訪れないのである。
はたして、日本はどうだろうか?
「公安=世間の雰囲気」に逆らわない体制はこうして作られている。【日本の国民統制】
日本も表向きは欧米社会と同様の形態をとっていて、確実に社会悪とされる行為以外で人々の行動を縛る・抑圧するような法律はなく、基本的には自由を原則としている。
しかし実態は公安(警備警察)の法律による明文化されていないルールや脅しや恐怖による心理的効果によって広く誘導や統制が行われた社会である。
公安を中心に世論誘導によって作り上げられた「人々の中になんとなく存在しているルール・規範」に背いた場合、周囲にわかりにくい形で制裁を加えている。そのやり方は実に巧妙である。
そして社会的・集団心理的効果によって、公安だけでなく一般市民も周囲の人間に対して公安の価値観や推奨される行動様式を広めていたのである。
例えば、地域によっては外を出歩いていると
- 必要以上に出歩かない
- 子供がいる日中は大人は外出を控える
- 移動は車を使うべきだ
といった謎ルールを押し付けてくる人間(公安もしくはその関係者?)が出てくることがある。
それを無視していると、もはや悪口レベルの容姿や髪に対してケチを付ける、けんか腰で来る等といった行為もしばしば行う。
これらは「人々に外出抑制を行うため」「粗暴な人物をあぶりだし摘発するため」に公安があえて行っていることは知っているが、法的根拠は何もなく、国民がこれらに従う必要は全くない。(しかし、売られた喧嘩に乗ってしまわないように注意。手を出すと、些細な違法行為でも可能な限り検挙する日本の警察に逮捕されてしまう。)
こうして、「公安=世間の雰囲気」や「普通」「常識」という感覚に逆らわない体制を敷いている。
そして、これが一般市民の日常生活に潜む、公安による統制活動の大きな部分である。
「法的ではない謎ルール」に対する一番の対策は「無視すること」
勝手に周囲から強要される謎ルールは、無視して大丈夫。
現に私自身がそうしていて問題はない。(公安がかなりうっとしいのは事実だが)
そうした謎ルールをわざと破る必要はないが、
普通に過ごしていると、周囲からなんとなく注意を受ける法的ではない謎ルールはすべて無視して大丈夫である。
では、そうした謎ルールを強要する周囲の人々の正体について共有しておこう。
その正体は、公安やその家族、そしてその公安の影響を受けた人々である可能性が非常に高い。
【公安は、彼らと同じ価値観を持つように職場や個人に圧力を加えている場面もあるので、公安関係者以外でも、公安の価値観に染まっているケースは見られる。】
そうやって、謎ルールを敷くことで個人の価値観や行動を犠牲にしつつ統制しやすい環境構築をひそかに行っていたのである。
その方が、普通の警察官によるパトロールだけよりも個人の行動や考え方に対して、より統制が取りやすく防犯効果が高いと公安が考えているためだろう。
それだと、「その謎ルールに従って協力した方が良いかも?」と思われるかもしれないが、それはもちろん個人の自由である。
そうしたい人はそうすれば良いし、そうでない人は別に守る必要はない。
しかし、こうした「謎ルール」に従うことは、決して周囲の人や社会のためではなく、単に権力者にとって都合の良い行動や考え方、従順さになってしまうだけなのである。
そこに法的根拠や合理的な正当性がないため、「周囲にとって迷惑」という理由でその謎ルールを守らせようとするのである。
もちろん周囲に対する思いやりや配慮があった方が良いのは当然だが、それは究極的にはその人の対人関係スキル的なところに依存する。
しかし、世間の謎ルールは「国民を統制するためのツール」としての目的のため、「他の人にとって迷惑」の範囲を意図的に拡大させつつ、導入されている。
とはいっても、なにより重要なのは、そうした謎ルールには法的根拠がないため、決して全員が守らなくてはならないルールではないということだ。
【経験談】「コロナ禍の外出自粛期間」に起きた「外出する人々への密告」
「コロナ禍における外出自粛期間」には、公安組織が外出する人に対して職場など関係先へひそかに密告する行為が発生した。
具体的には
- 「緊急事態宣言」や「まん延防止重点措置」適応時期
- 期間:特に「コロナ禍初期(2020年)」が中心
- 対象者:プライベートで外出している人々
- 密告先:主として職場
これは私自身に対して起きた出来事で、断定はできないもののこのようなことを集団で行うのは公安ぐらいしかいないだろう。
というのも外出禁止令に対する法的根拠がない日本において、人々の外出を抑制する方法としてこのような手段が用いられた可能性が考えられる。
公安の性質を考えれば、容易に想像がつく。
私は「緊急事態制限」が出ていた当時も、休みの日に職場近くの繁華街へ出かけることが時々あった。
友達と遊ぶ訳ではないが、なんとなく普段とは違う人の少ない繁華街の様子を楽しんでいたのだ。
しかしその時期、実際に仕事が休みの日に繁華街へ出かけると、次の出勤日に同僚から「出かけていた?」と少し小言を言われる機会があった。これは外出していた休日の時のみであったため、外出していた日程も把握されていたことになる。
「なぜ、知っていたのか?」、その同僚に尋ねると「あなたの家の近くに親戚がいるから」というものの、この点には疑問が残る。
というのも、私はその親戚と知り合いではなかったし、相手は顔を知らないはずである。
そもそも私が外出していた場所や職場は都心や繁華街にあるものの、住んでいた地域は郊外で、「郊外に住んでいる彼の親戚が、私の繁華街での外出を把握する」のは困難なのである。
また別の日には、他の同僚も同じように「親戚から私の外出を把握していた」という同じような趣旨の発言を聞いたのだった。
聞いた本人しかわからないかもしれないが、この時の雰囲気に違和感を感じた。
もちろん、彼女の親戚とも知り合いではなかったし、仮に本人たちがたまたま私を見かけていたとしてもあえてウソをつく理由が見当たらないからだ。
その雰囲気から、どこか別の人や場面から聞いたが、その事実を隠しつつ、私の外出の話を伝えたかったように感じた。
そうした中、より重要なのが私がこのコロナ禍初期において繁華街へ外出していた時、道路の端でそれを観察していた人物がいた。
黒髪の陽キャラ風の青年で、「よく繁華街で遊んでいる人かな」と思っていたが、なにやら仲間と一緒に繁華街の様子を把握しているような雰囲気であった。
当時は、緊急事態制限で繁華街を歩いていると人が少ないため目立つ状態であった。それでたまたま通る人を珍しがって仲間と話しているのかなと思っていたが、今考えると公安だった可能性が考えられる。【繁華街には、街の雰囲気に合わせたチャラ男風の公安が多い】
そう、コロナ禍の初期において、法的な外出規制や非常事態宣言を出す代わりとして、公安が人々の外出を監視していたのだった。
また、私が働いていたのは小売業で、日々様々な人が出入りする職場。
そのため、このような公安の活動を通して、意図的に伝えられた可能性が十分に考えられるのであった。
ちなみに公安の性格を考えると、こういった小さな違反行為に対する密告を行うことは容易に想像がつくのである。
コロナ禍における「マスク着用義務」と「外出自粛ムード」の怖さ
コロナ禍の時は「緊急事態宣言」という名のもと、法律に制定されていないにも関わらず、広く事実上の「マスクの着用義務」や外出自粛という名の「外出規制」を敷いていた。
違反しても決して罰金や懲役となるものではなかったものの、職場やコミュニティ内において小言や批判など精神的な制裁を受けるもので、社会的地位や評判を強く落とすものであった。
そして、なによりこの状況が恐ろしい。
理由は、「マスク着用の義務」や「外出自粛」はなんの法的根拠もないまま、
社会的強制力を持って行われていたからである。
表向きは、国民が自主防衛のためみんなマスクを着けており、外出を控えていたように見える。
確かにコロナは未知のウイルスであったためか、みんな自主的に防衛していた。
結果的にはそうなったが、実際はその裏には確実に公安による活動の影響力があったのだ。
なぜなら、こんなにも社会的・経済的な影響が大きく、国民の健康にも大きな影響がある事例を公安が放置するはずがないからである。
実際コロナ禍において、「人が非常に少ない繁華街でヤクザや半グレ風の人物が監視していた。」のを見たし、密告の実態も把握している。
この状態で、マスク着用や外出抑制の部分で公安が放置するはずがないのである。ましてや当時、日本は他国と違って法律によってこれらに関する方針を制定していなかった。
そのため罰則がなく、あの困難を乗り切るには国民一人ひとりの良心や同調圧力に頼り切るしかなかった訳である。
日本社会の「ルールの決め方」がヤバすぎる理由
日本は社会的ルールを制定する時、国民の良心や同調圧力、雰囲気に頼ってきた。
いわゆる「場の空気」による決定だ。
しかし、これでうまくいったから「これでOK!」という訳ではなく、構造的にかなり大きな問題性を持っている事実を受け止めなくて改善されなければならない。
理由はシンプルに「ルールや行動の善悪、その線引きがあいまいで不安定なものになるから」である。
まず場の空気や雰囲気によるルール決定では「何が良くて何がダメなのか?」、その線引きがあいまいになる、そして下手すれば「確実にOKとされること以外は不可となる」という結果にもなりかねない。
実際、今の日本社会はそういった雰囲気になりつつある。
またこうした環境下では、多くの人々が取る行動はなんとなく「声や立場が大きい人にただ従うこと」である。
これは、良い結果に結びつくこともあるが、悪い結果を招く危険性の方が圧倒的に高い。
例えば、日本の職場において「パワハラ」「付き合い残業」「サービス残業」が発生する原因も、労働規則や法律以上に「場の雰囲気」「声や立場の大きな人」を重視した結果起きている。というより、それらを重視せざるを得ない構造的な問題が原因なのだ。
そしてその構造的な問題というのが「場の雰囲気」「声や立場の大きな人だけによる意思決定」、すなわち「場の空気」による決定なのである。
このことは「コロナ禍」の時にも表れていて、日本において「マスク着用義務」や「外出規制」は実際には存在しなかった。なぜなら法律的に存在しなかったからだ。しかし、これも社会の雰囲気によって従わなくていけないような状況、錯覚を作り出してしまったのである。
一見、これは自然発生的に見えるかもしれないが、メディアやネットを利用しつつ「声や立場の大きな人による意向」によって行われていた。つまり世間の声という名の「公安」である。【「世間の声=公安」というのは説明済み】
コロナ禍において、自主的なマスク着用を促進するべく「世間の声」はうまく使われていたのである。
例えば、「マスク警察」や「外出自粛警察」等である。もちろん本当の警察ではなく、あくまで一般市民が行っているという前提だった。
もちろん、一般市民の中にもそのように感じていた人、実際に他人に言っていた人はいたかもしれない。しかし、メディアで大々的に報道していたあたり、公安や国家権力の意向が強い。日本では政治家よりも公安の方が力が強いので、間違いなく公安であろう。
反対に政治家の中には、当時の東京都の小池知事のように実際に外国と同じような法整備(ロックダウン、マスク着用義務など)を行おうとする人もいた。しかし、周囲の反発を受けて取り下げてしまったのである。(この反対に公安が関わっていてもおかしくない。)
公安は、法律よりも「場の空気」によるルール作りを重視している
公安は、法律よりも「場の空気」による支配、ルール制定を重視している。
これは、あらかじめ決まっている法律よりも、解釈や状況に合わせたルール作りや統制を行いやすいからであろう。
法律で取り締まるほどでない行為や国民を統制する上で都合の良いルールを「普通」「常識」「世間体」というものでルールを構築しているのである。
そして、これがある意味日本社会や国民を生き苦しくしている元凶で、
しかも、法律とは違って明確に他人を傷つける、損害を与える行為に限らず、
人々の考え方や行動、価値観に対して広く干渉してくるのである。こんなに息苦しい状況は無いだろう。
そしてこれは、自由とは名ばかり自由主義を恐れ、国民を統制し続ける日本の姿なのである。
しかし、このような息苦しい「場の空気によるルール」に対する一番の対策は、簡単で無視すること。
法律のように明確に設定された罰則のあるルールでない限り、私たちに守る義理や義務はないのだ。
【悲報】自由とは自動的に与えられるものではない【自由の獲得方法】
「自由とは、残念ながら与えられるものではない。自分で勝ち取りにいかなくてはならない。」
これは一見厳しい現実のようだが事実で、シンプルですっきりした考えである。
なにも誰もが「国や社会全体から自由を勝ち取ろう」とまでする必要はなくて、まずは自分自身や家族、そしてごく親しい友人や恋人など、身近な場所における自由を確保、死守すれば良いのである。
そのためには、「お金・体力・知識・経験」が必要で、社会や全体などを考えるのはその後で十分だ。
知識や経験はお金を生み出す力をくれるし、そのお金をまた知識や経験に使うことがまた生きる力、自由を手に入れるための力が向上するのである。(会社に雇われず働ける知識や経験が手に入れれば、さらに良い)
「お金・体力・知識・経験」、これらは現代で生きるための重要な力なのだ。
一定以上のレベルになると、日本に限らず海外で暮らすことも視野に出来る。
そうなれば、日本の奇妙な雰囲気や慣習、公安からもおさらばだ。自由になれる。
このように、自由とは自ら選択して不幸を逃れられる力なのである。
「一応、普通に生活できているから日本で良いかな」と思うかもしれない。
しかし、ヨーロッパの歴史、勝ち取った自由を見ているとわかるように、自由は自動的に降ってこないし、与えられるものでないのである。
自由を手に入れるには、やはり勝ち取りに行かなくてはならない。
しかし、そのために血まみれの戦をする必要がないだけ、現代はやはり恵まれている。
「知識・経験・お金・体力」、これらをうまく使って、うまく立ち回るだけで良いのだ。少なくとも不自由しない人並み以上の暮らしが得られるのだ。
日本自体が戦後GHQ(連合国軍総司令部)からの命令で国家から仕方なしにたまたま与えられた、今だ管理された自由に過ぎないのである。
そして今もなお、全体主義的な思想を持つ公安権力が存在することを忘れてはならない。
おわりに